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八千代台自治会HPへようこそ
八千代台自治会 基本方針
- 会員の高齢化に伴い自治会運営の仕組みの変更を検討します。
- 自治会活動に会員の皆様が気楽に参加出来るよう交流の場を拡げます。
- 他の機関と連携し防災対策の強化を図ります。
- 古くなった施設、設備の改善を図ります。
- 「八千代台を明るくする10年計画」の9年目に当たり、計画の継続を推進するとともに、防犯パトロールを毎月実施します。
自治会の始まり
八千代台自治会が発足したのは、昭和32年(西暦1957年)のことでした。
5月26日八千代台小学校において、
各ブロックから選ばれた代議員109名が出席、
八千代台自治会結成総会が開催され、
役員(会長薮田至孝 他4名)及び八千代台自治会内規等が決定されました。
6月15日八千代台小学校で第一回役員会が開催され、
6月20日に八千代台自治会会報第一号が発行されました。
習志野練兵場の東側の松林を中心とした原野を、
千葉県が全国初の住宅団地として開発し、
一戸当たり60坪から100坪の公庫融資付きで分譲したのが
八千代台の出発点です。
昭和29年から造成工事が始まり、
西部劇の開拓地の様な雰囲気の街が出現しました。
東京のサラリーマンを中心に多くの人が集まり、
我が八千代台が出来あがりました。
八千代台自治会位置図

上記①の地区は「やよい会自治会」、②は「公団賃貸住宅」、①と②の間は06年6月1日に八千代台自治会に加入した「マンション・グランノア八千代台」である。
(この地図は八千代市長の承認を受けて複製したものである。承認番号都第322号)
自治会事務所 所在地
〒276-0031
八千代市八千代台北1丁目12番地 八千代台自治会館内
Tel 047-482-5629 Fax 047-482-6530

自治会役員名簿
| 役 職 | 氏 名 |
|---|---|
| 会 長 | 横 田 誠 三 |
| 副 会 長 | 越 川 晃 男 |
| 副 会 長 | 安 部 壮 二 |
| 総 務 部 長 | 越川副会長兼務 |
| 財 務 部 長 | 安部副会長兼務 |
| 広 報 部 長 | 長 村 永 二 |
| 生涯学習部長 | 林 研 司 |
| 福 祉 部 長 | 白 石 明 |
| 厚 生 部 長 | 今 鐵 美 |
| 防 災 部 長 | 林 隆 文 |
| 防 犯 部 長 | 林防災部長兼務 |
| 道路交通部長 | 柳 葉 繁 |
| 生活環境部長 | 岩 崎 茂 雄 |
| 緑 化 部 長 | 齊 藤 充 弘 |
| 青 年 部 長 | 木 田 敏 克 |
| 会員担当部長 | 久保田 節 子 |
| 会計監査員 | 山 本 道 雄 |
| 会計監査員 | 岡 本 守 正 |
(後列左より)
古藤章人(事務局員)齊藤充弘(緑化部長)今鐵美(厚生部長)岡本守正(会計監査員)山本道雄(会計監査員)白石 明(福祉部長)
林 隆文(防災部長・兼防犯部長)岩崎茂雄(生活環境部長)宮本貞子(事務局員)
(前列左より)
長村永二(広報部長)林 研司(青年部長)安部壮二(副会長・財務部長)横田誠三(会長)越川晃男(副会長・総務部長)
久保田節子(会員担当部長)木田敏克(青年部長)
地区担当役員
北A地区(北1・2・3・4・5丁目)
久保田 節 子 齊 藤 充 弘
北B地区(北6・7・8・9・10丁目)
今 鐵 美 白 石 明 林 隆 文
西A地区(西1・2・3・4丁目)
長 村 永 二 岩 崎 茂 雄
西B地区(西5・6・7・8丁目)
林 研 司 柳 葉 繁 木 田 敏 克
地区別会員数
平成24年4月1日現在の会員数は下記の通りです。
| 西地区 | 会員数 | 北地区 | 会員数 | |
| 西 1丁目 | 78 | 北 1丁目 | 132 | |
| 西 2丁目 | 55 | 北 2丁目 | 61 | |
| 西 3丁目 | 102 | 北 3丁目 | 109 | |
| 西 4丁目 | 145 | 北 4丁目 | 105 | |
| 西 5丁目 | 117 | 北 5丁目 | 107 | |
| 西 6丁目 | 122 | 北 6丁目 | 117 | |
| 西 7丁目 | 86 | 北 7丁目 | 160 | |
| 西 8丁目 | 138 | 北 8丁目 | 162 | |
| 北 9丁目 | 124 | |||
| 北10丁目 | 62 | |||
| 西地区 計 | 843 | 北地区 計 | 1,139 | |
| 合 計 | 1,982 |
住宅団地発祥の地

「この付近には明治以来習志野騎兵旅団が駐屯し、八千代台団地もその旅団の練兵場であったが、時は移り昭和30年3月多くの方々のご協力を得て、千葉県住宅協会の手でこの地に全国初の住宅団地が誕生した。
これが契機となって住宅金融公庫の団地造成に対する融資制度も確立し、全国に続々と住宅団地の造成を見るようになった。
今から見れば、八千代台団地は必ずしも大団地とは言えないが、団地誕生の歴史を回顧すれば八千代台団地のできたことは洵に意義深いものであった。
昭和40年4月
財団法人 千葉県住宅協会会長 友納 武人 」
これは八千代台駅西口の岡田不動産ビル前・京成バス停留所近くの歩道上にある「住宅団地発祥の地」碑に刻まれている文章である。
この碑は、もと八千代台駅前ロータリーの中にあり、昭和45年4月22日、自治会館落成式当日に除幕されたものである。
昭和30年9月18日(日)付けの毎日新聞千葉版(8面)には次の様に報じられている。
実現する八千代集団住宅
明年中に住宅千四百戸
デパート、警察も設ける
東京都の衛星都市として千葉郡八千代町の習志野原十四万坪に全国初の近代的住宅街がいよいよ実現する。県住宅協会では県の協力のもとに文化都市の造成計画を立案、着々準備を進めていたが、計画の中心となる京成電鉄八千代台駅新設が具体化したので、いよいよ二億円の予算で明春完成を目標に都市造成工事に着手、来月三日から第一回として二百戸の公庫融資による分譲住宅を募集する。なお明年中には近代化した鉄筋アパート四百戸と商店街、学校、公園の造成も終わる予定。
京成には新駅も
県住宅協会の都市造成計画は、まず京成実籾、大和田駅間に八千代台駅を新設、駅を中心に十四万坪を幅員十六㍍の幹線道路五本で区切り、延長十四㌔にもおよぶ三十本の街路で整然と整理し道路はすべて舗装される。幹線道路は住宅街を横切らぬよう注意が払われ、人口密度も一ヘクタールに百二十人程度(普通二百五十人)一戸七十坪から百二十坪と非常に適正化されている。
駅前には千坪の広場が予定され、これから六方に広がる道路ぞいには美しい鉄筋建築の大きなデパートやマーケット式商店街が設けられ、つづいて消防署、町役場出張所、郵便局などが公館街となり、中央通りの中心に小、中学校が併設される。
中央幹線で分けられた両ブロックそれぞれに緑地帯公園が設けられ、なかには幼稚園も作られる。また住居者の生活の便宜を考え小さな商店街と公衆浴場がそれぞれに置かれるが、商店街は都市美観を考慮し最小限必要な全部で五十軒に制限している。
計画住宅数は木造平屋住宅(公庫融資による分譲住宅)千戸、鉄筋アパート(県営)四百戸で人口七千名 を予定している。(以下省略)

上図(八千代台自治会見取り図)の内、着色された地域が千葉県住宅協会が計画した「八千代台団地」の完成地域である。
上図は、千葉県住宅供給公社から提供された「八千代台宅地造成完成平面図」から作図したものである。千葉県住宅供給公社は昭和28年に財団法人千葉県住宅協会として発足し、昭和40年6月に制定された地方住宅供給公社法に基づき、同年11月に千葉県住宅供給公社に改組した。
八千代台団地 計画面積 419,697 ㎡
計画人口 4,456 人
計画個数 1,114 戸
昭和29年1月、大和田町と睦村が合併して八千代町となり、同年9月阿蘇村を合併した。
昭和32年、八千代町高津新田の一部が大字八千代台となり、字北1~7丁目・字西1~7丁目に分かれており、昭和38年高津新田の一部を編入して字西8丁目を加える。
八千代台北・八千代台西と呼ばれるようになったのは昭和47年からである。